聖と俗と
9/29 朝日新聞『惜別』より
このコーナーは毎月月末に『その月に亡くなった著名人』を紹介するもの。
今月、世界的なテノール歌手パバロッティ氏が
すい臓がんで71歳で亡くなりました。
以下は記事を編集しつつ抜粋。
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葬儀は惜別より、人生をたたえるためにある。その思いを強くしたのは、北イタリアのモデナの大聖堂にから広場に運び込まれた棺が5万人の拍手と歓声に迎えられたときだ。背後から『誰も寝てはならぬ』(注・・・トゥーランドット)を歌う故人の歌声が響いていた。
大聖堂は歌声で満たされた。ブルガリア人ソプラノのカバイバンスカ、盲目の歌手ボチェッリが賛美歌を歌った。クライマックスは本人が老いた父とともに歌う『天使の糧』。パン屋の父はアマチュア歌手として生涯オペラに情熱を傾け78年同じテノールで名を成した息子とここで歌った。録音で再び大聖堂に響いた親子の声に参列者から劇場そのままのスタンディングオベーションが起きた。
聖人君子でなかったことは誰もが知っている。肥満で舞台での動きが鈍くなっても美食はやめられなかった。公演キャンセルに脱税事件。マイクを使ってのコンサートにも異論はあった。極め付きは60歳を超えての離婚。3人の娘より若い秘書と結婚し、女の子をもうけた。
大聖堂で離婚歴を持つ人物の葬儀を許した教会に一部カトリック信者から批判が出た。モデナの大司教は『葬儀とは故人をあがめる儀式ではない。地上の旅を終えた故人が慈愛を持って迎え入れられるように願う神への祈りだ』と反論した。
人気歌手ズッケロは故人の茶目っ気をしのぶ詩を作った。『今度は聖ペテロがあんたの好きなチーズとワインを持って迎えるだろう。その声に耳を傾けた天使らのコーラスは銀河のコンサートで美しく響くはずだ』
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パバロッティへの愛を感じさせる、大変いい記事だったと思います。
読んでいて涙が溢れました。
あらためて故人のご冥福をお祈りします。
【追記】
記事中のモデナの大司教と歌手ズッケロの言葉。
2人とも立場は全く違いますが、第一級の知性のある方でないと、こうは言えないと思います。
かっこいい言葉だと思います。