勉強する意味について
昨日は風が強い一日でした。
皆様の住んでいるところはどうでしたか?
本日は仕事の話を。
仕事上、生徒から「何のために勉強するの?」という質問を受ける訳ですが、
さときちは
「勉強しておくと、人生の選択肢が増えるんだよ」
と答えるようにしています。
将来なりたい職業があって、その為に学校を選ぶ、
その時に一定の学力を求められるとすれば、それを身に着けておくべきだ、と。
10代のうちはそれでいいのではないかと思います。
なりたい職業なんて、その時その時で変るもの。
その変化に対応できるだけの力をつけて欲しいと思うのです。
しかし、20代も半ばになると社会の色々なところが見えてきたり、
人生の複雑さが見えてきて、物事が単純ではないことがわかってきます。
極端に言えば、「自分の人生が生まれた時から決まっていた方が楽!」ということです。
具体例としては、親が商売やっているから、長男である自分はそれを継ぐのが当然、
という考え方。
それ以外に選択肢が無ければ、自分の将来にあれこれ悩まなく済む訳です。
「選択肢の多い」という言葉は凄く耳ざわりがいい言葉で、
否定するには勇気が必要ですが、「選択肢が多い」ということは
自分で決めなければならない、ということであり、
例えば、大海原にイカダに1人乗せられて、放置されたようなもの。
航海する術をもたない者は漂流してしまう。
そこで必要なのは、、、
大きな世界を彷徨う不安、焦燥感、無力感に打ち勝つ力。
それが学力であるかどうか、それは私も分りません、、、
皆さんが乗っている船は順風満帆ですか?
イカダに乗って、今日も大海を彷徨うさときちの独り言でした。