言葉の壁
来月から私の地元の公立小学校でも英語教育が必修化されます。
英語教育が必修化
http://www5.hokkaido-np.co.jp/motto/20060520/
教師側、生徒側、両方に大きな問題を孕んだままGOサインが出た訳ですが、、、
ただでさえ授業時間が少ない公立学校にとって、
英語の時間を増やしてどうすんだと。
逆に国語の時間を倍増ぐらいの勢いでやっていただきたい。
そのくらい、国語力の低下は深刻。
そもそも、英語を勉強することは「目的」でなく「手段」
極論を言えば、発音が悪かろうが、何だろうが、伝わればいいんです。
いや、将来、アメリカ行って歌手になる、とかビジネスとして通訳になる、というなら話は別です。
あるいは目標とする大学に行く為、避けられないとか。
以前、テレビで見ましたが、
NTTを退職、現在MITで教鞭をとっている有名な日本人教授、石井裕氏。
彼の発音は、お世辞にも上手くありません。
むしろヒドイくらいです。
でも、相手には伝わっているのです。
気持ちを相手に伝える、それが言葉の第一の意義。
そして、お互いを理解しようと努めれば、相手の意図は通じます。いや感じる、と言ったほうがいいのかもしれませんが。
そんなエピソードを紹介。
言葉の壁
http://ameblo.jp/kuromaryu/entry-10027756233.html
私、仕事ですので、英語の授業はちゃんとやります。
なにも英語教育を全否定してる訳ではないのです。
英語最優先主義のような考え方に違和感を感じるだけなのです。
人類が初めて言葉を発した時、
それは狩りにおける合図だったのか、
好きな人に思いを伝える為だったのか、わかりませんが、
いずれにしろ「相手に思いを伝えたい」という気持ちがあったことは確か。
上記リンクの例ではないですが、
『伝えたい』
『学びたい』
というお互いの真摯な姿勢さえあれば、言葉の壁すら障害ではないのです。
人と人の、より本質的なコミュニケーションは
お互いの真摯な態度があれば、国籍、言語、性別を超えるのです
相手を尊重し、理解し、思いを伝えようとする心。
大切にしていきたいですね。