医者は神では無い
産婦人科、小児科の医師が全国で不足しています。
このままでは安心して子供が生めない!
全国の多くの女性がそう感じています。
注目されるのが、福島県立大野病院で帝王切開の手術中に女性が死亡した事件の裁判。
この事件について、あるフリーのアナウンサーの考察が。
産科医の裁判は間違っている
http://ameblo.jp/anabanashi/entry-10024297291.html
確かに、命を落とした家族の、持って行きどころのない深い悲しみは想像を絶するものだと思います。
その悲しみが怒りとなって病院や医師に向かうことになる、
その流れも理解できます。
しかし、それでも、と。
いや、これは私が当事者ではないからかもしれませんが。。。
思えば、医者とて完璧な人間ではありません。
仮に、医療事故が医師の経験不足が原因だとすれば、
世に若い医者が経験を積む場が無くなってしまいます。
この種の裁判が増えることで、ますます産婦人科、小児科を希望する医師の数は減るわけです。
本当に、不幸にも命を落とされた方には申し訳ないと思います。
しかし、一方でこういう厳しい現実もあるのです。
地方なぞ、本当に医師がゼロの所、いくらでもあるのです。
そういう地方に、若い人達の誰が住もうというのか。
この世は何も都市部に住む人達の論理だけでは成り立っていません。
『そんな不便なトコ住まなければいいじゃん』
何たる想像力の欠如!
医療事故の原因が、医者不足にあるとするならば、
その解決には医師の数を増やすしかなく、
当然、お金がかかります。
自治体が、医師を呼ぶのに無理して給料を高く設定したとします。
それでもなかなか来てくれないのです。
この大野病院のケースは小さな町の、産科医が1人しかいない病院で、1万人に1人という難しい、しかも経験の無い症例の出産になってしまった。
そこで起きた、母子にとっても担当医にとっても、非常に不幸な出来事ではなかったか、と、このフリーアナウンサーは考えてます。
数百年に1度の大雨に備えるためのダム、河川工事。
数百年に1度の大地震に備えるための建物の補強工事。
これらに多額の税金を投入するのは、いかがなものかという意見もあります。
ところが、命の話になると、レアケースとはいえ、その判断が難しくなります。
命の重さとコストを天秤にかけていいものかどうか。
難しい問題です。
医療技術の進歩は近年目覚しいものがあります。
昔ならば死を免れないような病気でも治療が可能になってきています。
しかし、過度の期待をしてしまうのでは危険です。
極論ですが、本来、自分の命は自分で守るもの。
それを他人(医師)に託した時点で、
それはいかなる結果も受け入れなければならないのではないか?
もちろん、血液製剤で病気になったとか、杜撰な衛生管理だったとかの悪質なケースは例外としても、
医者とて神様ではないのです。
『お金を払ってるんだから、ちゃんとヤレ!』
そう言いたくなる人いませんか?
逆にその人にお聞きしたい。
『お金で全てが解決するのか?』と。
人間は神ではない、そういう謙虚さと諦観を出発点として考えることでしか
この種のデリケートな問題には答えは出せないのではないか、
そう思います。