ゲーム脳の弊害について

先日、病院の待合室のTVにて

ゲーム脳の弊害についてやっていました。

『集中力が無い。キレやすい。』

私のわずかな経験の中にも該当する生徒がいるのではないか?

このゲーム脳、想像するに

直観力のみに頼る、答えは誰かが教えてくれる、

深く物事を考えない、などといった弊害が予測されます。

いや、予測されるどころか、実際に生徒と接しているとそう感じます。

私自身、ファミコン世代なので、これはもしや親が既にゲーム脳なのか?

太鼓の達人で親子のコミュニケーション、

大変、結構。

私は常々、

『ゲームはどんどんやっていい。そのかわり同じ時間は勉強しなさい』

と言ってます。

特に、小中学生の男子、長期の休み(夏休み等)は危険です。

個人的に管理型の授業は嫌いなのですが、

ゲーム好きな生徒の指導方法として、

極めて簡単な一週間の予定表を書いてもらいます。

勉強した単元、学習時間、反省を書いてもらう。

1日1日、丹念にチェック、ハンコを押していきます。

『君、この日はモンスターハンター4時間か? どこまで進んだ?』

という会話もしますが、同時にその生徒の勉強時間は4時間。

かなりの確率で成績が上がります。

問題は、自分で机に向かえるように、集中力と持続性、計画性をつけてやること。

担当して数ヶ月は正直、生徒と一緒に遊んでいます。

いや、正確には半分、雑談しています。

自分を知ってもらい、生徒を知り、

思ったことを何でも話てくれる関係を築くことに最大限の神経を使います。

基礎的な問題を徹底的に繰り返し、

集中力と耐える力をつけて、、、

その後は、多少、宿題を多くしようが、厳しい言葉をかけようが、

生徒はついてきます。

教える側としては、相当の我慢が必要ですが、

我慢できるかが勝負。

ここで安易に『手取り足とり説明してしまう』ようでは

生徒の考える力がつきません。

難しい問題に当たった時、すぐに隣にいる教師を見てしまう生徒がいかに多いか!


『君、試験の時、隣に俺はいない。かわりに受験してあげたいくらいだが、それは無理だ。最後、自分を助けるのは自分しかいない。人に安易に頼るな。難しい問題に当たったら、今までやってきた苦しい勉強を思い出すんだ。あれだけ問題解いてきたんだ。今までの自分の努力をムダにする気か! ちょっと予想がはずれた問題が出たぐらいで、諦めるな。考えてもわからないなら、できそうな問題を探せ。時間一杯粘るんだ。全ては自分の為、親や先生や俺のためじゃない、自分のため、そう思って試験を受けるんだ。』


つまるところ、勉強は『弱い自分に勝つ』こと。

日々の小さな勝利の積み重ねこそが、結果的に大きな果実となるのです。