ゲーム脳の弊害について(Part2)

バックアップとしてこちらとほぼ同じ内容のブログを別に書いているのですが、

そこにいくつかコメントを頂きました。

以下は26日に書いた日記のコメントを抜粋したものです。

非常に真摯かつ中身のあるご指摘。

安易に『ゲーム脳』などという言葉を使う危険性について考えさせられました。

深く反省しております。

特に森昭雄医学博士の本『ゲーム脳の恐怖』についてはその統計の取り方、信憑性について疑問の声が複数ありました。

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はじめまして。

子供たちとの接し方については納得するところですが、「ゲーム脳」に対する認識については、問題があります。

創作物が人格形成に影響を与える可能性は、ゲームに限らず、映画でも小説でも音楽でも、すべての創作物にあります。そんな中で「ゲーム脳」の、「脳の前頭前野が壊れる」というのは、かなり飛躍した結論です。

さときちさんはビデオゲームの経験がおありのようですから、ゲームにはさまざまなコンテンツがあり、とても「ゲーム」という記号一つで全体をあらわすのは不可能なメディアだと言うことも、体験的にご存知かと思います。

森氏の実験は、そのような「ゲーム」の中から2、3本のコンテンツを取り出し、自作の脳波計測器で数名のサンプルの脳波を測定し、さらにデータを自身の主張にそうように解釈したもので、科学の手法としてあまりに稚拙で、「実験」と呼ぶのもはばかられるようなものです。

一度、森氏の「ゲーム脳の恐怖」を読まれて、その内容のなさに触れて見られたほうが良いように思います。安易に「ゲーム=悪」としてしまうと、子供たちが、そこに根拠が無いことに気付いた時、危険です。


投稿 A-WING | 2007年4月25日 (水) 10時04分

>A-WING さん
コメントありがとうございます。はじめに断っておきますが、『ゲーム=悪』とは思っておりませんので誤解の無いようにお願いいたします。例えば、バイオハザード=子供に悪影響を与えるもの、などという短絡的な考えは微塵もございません。ゲームばかりでなく、小説等の想像物を否定してしまうことは、人間が人間であるところの『想像力(創造力)』を奪うものだと思ってます。問題は『自分の頭で考える』という作業が減ってきているのではないかということ。この力が低下していることは事実。そこで『ゲーム脳』との相関関係はいかに? という問題になってくるのですが、実際、この種の問題は多変量解析などで分析を試みようとしても、母集団の数が少なすぎて、あるいは複雑すぎて、統計的に信憑性が無い、というのが現状です。よって、私のこの日記は極めて直感的な感覚のみで書いている、と言わざるを得ません。しかし、それでもなお、現実には『考える力の低下』ははっきりとしている訳で。
このあたりの私のジレンマを文章から感じていただければ幸いです。ご丁寧な指摘、ありがとうございました。後で森氏の主張もじっくり読ませていただきたいと思います。


【追記】
森氏の『ゲーム脳の恐怖』について、アマゾンのカスタマーレビューを全て読ませていただきました。賛否両論、かなり熱い議論の場になってました。投稿数が100以上って。。。それだけ皆さん関心あることなんですね。私が思っていた通り、データの信憑性、統計の取り方について否定的な意見が多くありました。本質的に、この種の議論は『水掛け論』になってしまう場合が多いですね。『結局、正しいのはどっちなんだ』と。なので、私は、判断の基準を現場に置き、子供達と接する中で答を見つけ出していきたい、そう思ってます。真摯的かつ意義のあるコメントありがとうございました。

投稿 さときち | 2007年4月25日 (水) 10時18分


こんにちは、さときちさん。ニセ科学批判者の末席で様々な「科学的で無いのに科学を装うもの=ニセ科学」の批判をしております化学分析屋の柘植と申します。

単純に言いますと「ゲーム脳」という言葉は「慎重につかっていただきたい」という事です。もっと厳しく言うなら、「売名が目的の失格科学者がでっち上げた、科学的に見せかけるための用語ですので、使わないでください」と申し上げるべきかもしれません。

私は決して「脳」の専門家ではありませんが、同僚には「脳」の研究をしている者もおりますし、またそういう研究者の研究発表を聴く機会もあります。総じて言えるのは「真面目に研究するものほど、研究成果の発表に慎重である」という事です。自分たちが、まだ未知の世界である脳の機能解明のとっかかりに達しているかどうかすら自分たちで疑いながら一歩一歩慎重に進もうとしているのが、「真面目な脳の研究者」です。「あくまで、今、得られている結果はこうですが、これが何を意味するかは、まだこれから長い時間をかけて研究しなくてはなりません」これが、脳研究の定番とも言える発表の作法だと言えば良いのかもしれません。

ゲーム脳」にしろ「脳トレ」にしろ、そういう慎重さを失った者が「売名のため」に作り上げた言葉であるわけです。なんら悪意も無く「流行言葉」としてお使いなのは分かりますが、あたかも「脳の研究はここまで進んでいる」かのごとき雰囲気が世に満ちるなら、真面目な研究者の一歩一歩手探りで歩んでいる姿は、「サボっている」としか思えなくなるのではないかと危惧しております。

投稿 柘植 | 2007年4月26日 (木) 10時42分


>拓植さん
ご丁寧なコメントありがとうございます。はじめに、この場を『炎上』の場にしたくはない、と思っていますので、その点はご理解下さい。議論が深くなっていくと、必ず『揚げ足とり』になってしまい、問題がどんどん本筋から離れていく、という経験を何度もしてきましたので。

そして、断言しますが『森氏の考えには同意しない』という私の立場もご理解下さい。やはり、もっと確実なデータが無いと証明できないと思います。『ゲーム脳』などという定義すらあやしい言葉を使用した私の安易なところ、反省しなくてはいけないと思います。と同時に、このような貴重なコメントをいただき感謝しております。

真面目な研究者はいつの時代も不遇、そう嘆く気持ちも私なりに理解しております。『世にはだましのデータが多すぎる!』と知人の研究者も悩んでいました。

今の私は『ゲーム脳について』断定的な立場にはございません。目の前にある、生徒達の学力をどうやって上げるか、そこに最大限、集中したいと思います。

投稿 さときち | 2007年4月26日 (木) 13時04分



【参考】

別なブログでこの件に関してのコメントが。

http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_a62d.html