台形面積の求め方、小5から算数で復活

台形面積の求め方、小5から算数で復活…中教審専門部会

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070918-00000115-yom-soci


また中学数学に『2次方程式の解の公式』を復活させることも提案されたようです。

今の公立小学校では、台形は図形としての形を説明するだけ。

実際は、現場の先生の判断で教えているところもあるようですが。

中学校で解の公式は『発展的内容』として多くの教科書に盛り込まれています。

私が担当する生徒には『これらは発展的内容ではない。普通に覚えて欲しい』と言ってます。

私が小さい頃から嫌いだったのは

『教える側の出し惜しみ』

例えば『これから先は、高校になってからやるから説明はここまで』という言い方。

せっかく興味があっても、教える側からシャットアウトしてしまう、と。

しかし、現実問題として、より高度な解説をしはじめると、時間は無いし、大半の生徒はついてこれなくなるし、といった問題が発生します。

結果『この先に興味ある人は、放課後に職員室へ質問に来てください』となる訳でして。

『知の世界の奥深さ』を、好奇心旺盛な生徒にガイドしてあげるのが教師の役目では?

実際、そういうタイプの生徒は公立中学校在学中に、例えば高等数学を自分で積極的に解いたりしています。

しかしながら、今や『放課後、職員室に〜』と言う先生は少なくなってきたのかもしれません。

何故か?

先生方に余裕が無いからです。

土曜の授業復活に反対の声があがるのも、余計な仕事が増えたから。

もちろん、教える側に全く問題が無い訳ではありません。

教育現場の崩壊は『国』 『現場の先生』 『親』など、全てが関係しているからです。

若い先生方、特に20代半ば以下の世代に危険な兆候が見られます。

一般企業の人事担当者、部下を持つ友人、これらの人に話を聞くと、

『若い社員は話が通じないので怒ることができない』

恐ろしい話だと思います。

『叱っても、言葉がわからないから効果が無い』

これはいったい何を意味するのか?

昔から人間社会にジェネレーションギャップはつきもの。

数千年前に建てられたピラミッド

そこに刻まれた『最近の若いヤツは、、、』という言葉。

シャンポリオンも苦笑いしたものと思われます。

しかしながら、本質的には、時代は変わってもその国民共通の『考え方』や『想い』といった共通認識があるものだと思います。(個人的には「そうあって欲しい」というのが正直なところです)

それが、今や『共通認識』が無くなってきているのではないか?

せめて私の担当する生徒には、自分で物事を考えられるよう、将来、恥ずかしくない大人になれるよう、

持てる全てを使って、伝えていきたい、そう思います。